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田淵幸一が貫いた阪神愛。10年で320本を放ったスラッガーの素顔とは。

初代ミスタータイガースと呼ばれた田淵幸一。1968年ドラフト1位で法政大学から鳴り物入りで阪神に入団して以来、トレードまでの10年間で320本ものホームランを放ち、名実ともにミスタータイガースとなった。

田淵選手といえば、4:2での西武への電撃トレードで阪神から移籍となったのは有名な話。生涯阪神タイガースを誓った田淵選手が涙ながらに移籍会見を開いたのは、すべての阪神ファンの心を掴んだだろう。阪神と西武で現役通算16年を過ごした田淵選手だが、どういったプロ野球人生だったのだろうか。

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阪神愛を貫くも、ケガと挫折に泣いた田淵幸一

法政大学時代、22本の大学ホームラン記録を打ちたて阪神からドラフト1位で入団。1969年ルーキーシーズンから捕手としてレギュラーに座り、22本のホームランを記録して捕手初の新人王を獲得。最高のプロ野球人生をスタートした田淵選手だったが、ここからケガに襲われる。

1970年、広島の外木場選手の投球が頭部に当たり救急車で搬送されるという事件が起こる。こん睡状態になるほどの強い衝撃を脳に受け、翌年まで尾を引くくらいの影響を受けたそうだ。ボールに対する恐怖感を克服しながら、ちょうどこの時期、一本足打法にフォーム改造を行ったこともあり4年目から30本を超えるスラッガーに成長したのだった。

そして1975年、王貞治を差し置いて43本でホームラン王に輝くのだが、実はこの年も死球を受けて左手を負傷していたのだ。実質右手だけしか使えなかった時期もあったものの、王選手に10本の差をつけてのホームラン王だったのだ。このときすでに、田淵選手は打撲による負傷を繰り返しており、常にケガを抱えながらのプレーとなっていたと言われている。

虎のスラッガーとして順調に成長曲線を描いていた田淵選手に、衝撃のトレードが起こったのは1978年オフシーズン。古沢選手とともに西武へ電撃移籍することになり、10年間の阪神生活にピリオドを打つことになった。そのとき、深夜に開いた会見で田淵選手はこのように涙ながらに話した。

オレはボロボロになってもタイガースに骨を埋めたかった。そのために大阪まで来たんですよ。10年前、このホテルで入団会見したときもボクは“タイガースに骨を埋めたい”と言った。人一倍、タイガースのことを思っていたのに。

西武への放出という大きな挫折を経験した田淵選手だったが、移籍先でも40本を超えるホームランを放つなどして1982年のリーグ優勝、日本一に貢献。パ・リーグでもホームランも量産していた矢先、1983年に受けた死球により左手を骨折し、1984年に引退することになったのだった。

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波乱万丈に見えるプロ野球人生だったが、2002年に星野監督のもと阪神タイガースにコーチとして復帰し、2003年には強力打線を作り上げてリーグ優勝を成し遂げた。選手としてもコーチとしても阪神に大きな功績と影響をもたらした、まさしくミスタータイガースとして語り継がれる人物となったのだった。

田淵幸一はなぜ希代のスラッガーだったのか

「ホームランアーチスト」と呼ばれるほど、きれいな弧を描いたホームランが魅力の田淵選手。長い滞空時間と飛距離が特徴であり、うねり打法と呼ばれる独特の打撃を編み出した人物でもあるのだ。

王貞治  10.66
田淵幸一 12.41
カブレラ 12.63
中村剛也 13.01
ローズ  13.52

これは何の数字か分かるだろうか。実はホームラン1本を打つの必要な打席数の記録なのだが、田淵選手の打席数の少なさは歴代2位なのだ。松井秀喜選手は6位、清原和博選手は8位、落合博満選手は9位なのだが、名だたるスラッガーを抑えて2位に君臨しているのだから凄い。

私自身、田淵選手の現役時代を生で見たことがないのだが、記録だけでも偉大な選手であることが分かる。1983年は82試合にしか出場していないのに30本のホームランを放っているなど、凄まじいペースで量産していたのが偉人たるゆえんでもある。歴代本塁打数は474本で11位なのだが、短期間で本数を重ねたのは田淵選手ならではなのだ。

ちなみに、田淵選手は非常におおらかで裏表のない性格の持ち主としても有名であり、周りに誰一人敵がいなかったそうだ。捕手とはバッターの裏をかいた配球が必要なポジションであることから、ひねくれた性格を持っていないと名捕手になれないと言われていたが、その通説を覆した男でもあるのだ。これもファンに長く愛される理由かもしれない。

まとめ

田淵幸一というホームランアーチストは、阪神が生んだ希代のスラッガーであり、同僚もファンも愛する素晴らしい人間性の持ち主でもあるのだ。引退後も阪神タイガースでコーチを歴任するなど、阪神への貢献度も計り知れない人物としても尊敬できるし、私は非常に大好きなプロ野球選手の一人でもある。

ぜひまたいつか、阪神タイガースのコーチもしくは監督として戻ってきてほしい。

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