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掛布雅之が名スラッガーたる所以とは。高い技術力の秘密や引退の理由まで。

ミスタータイガースという愛称で呼ばれる掛布雅之という男。1985年のバックスクリーン3連発に象徴される強力打線の中心人物であり、現在も阪神の二軍監督としてチームに貢献しているまさにミスタータイガース。彼が阪神に与えた影響力、貢献度は計り知れないだろう。

175cmというプロ野球選手にしては小柄な体格であったにも関わらず、球史に残るスラッガーにまで成長した掛布選手。ドラフト6位での入団であり、期待の新人でもなかった掛布選手がいかにしてスラッガーに成長したのか。掛布雅之という男を紐解いてみたいと思う。

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父のコネで阪神入団、田淵幸一の跡を継いだミスタータイガースの称号

1973年に阪神にドラフト6位で入団した掛布選手だが、当時の彼の知名度はほぼ皆無と言ってよかった。阪神に入団した経緯も、高校の野球部監督をやっていた父親の口利きのおかげであり、それがなければ1974年の二軍キャンプへの帯同も認められなかっただろう。

習志野高校4番ショートとして注目の選手ではあったが、プロ入りできるほどではないというのが高校時代の掛布評だ。しかしながら、入団1年目からオープン戦で活躍するなど一軍入りすると、3年目シーズンには打率3割、20本塁打を達成。21歳という若さで阪神を代表するスラッガーに成長したのは、日々の猛練習と肉体改造があったからであった。

20本塁打以上が9回、本塁打王3回、1979年には48本塁打という驚異の数字を叩き出した掛布選手だが、彼には独特のホームラン理論があった。それは「ホームランの打ち損じがヒットである」というものだ。よく「ヒットの延長がホームランだ」という理論を聞くことはあるが、掛布選手はハナからホームランを打つことを目標にしていたわけだ。

ミスタータイガースが似合う掛布選手だが、かつてのミスタータイガースは田淵幸一選手だった。田淵選手が電撃トレードで阪神を去ってしまう時、掛布選手に「お前は、江夏や俺のように途中で縦縞のユニフォームを脱ぐようなことはするなよ」という言葉をかけられていた。1986年から故障続き、不調の掛布選手に他球団から誘いの声がたくさんあったそうだが、生涯阪神を貫き、田淵選手に続くミスタータイガースになったのだった。

なぜ掛布雅之は名スラッガーとなったのか

阪神タイガースと聞けば、いまだに掛布選手を連想する人が多い。それだけ阪神ファンに愛された掛布選手だったが、もともとは中距離バッターだった。さらには、甲子園というホームランが出にくい球場がホームとなり、長距離砲としてスラッガーの道を歩むのは困難だといわれていた。

そんな掛布選手をスラッガーに育て上げたのは、徹底した素振り練習であった。かつて掛布選手は、インタビューの席でこのようなことを話していた。

マシンは同じリズムで投げてくるから、同じように打とうとする。ところがピッチャーは微妙にバッターのタイミングを狂わせながら、カーブやスライダー、あるいはフォークボールやカットボールを投げてくる。そういうボールを自分が主導権を握って打ちたいのであれば、どんなボールにでも対応できるスイングを身に付けなければならない。それはマシンではできないんです。素振りじゃなきゃ。

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世界のホームラン王である王貞治さんも、刀を使ったたんざく斬りと呼ばれる素振りをしていたとおり、素振りは名スラッガーを育てるために大切な練習だった。練習の虫だった掛布選手は、誰もいない静寂かつ暗闇の中で黙々と素振りを繰り返したという。殺気すら感じる張り詰めた緊張感をかもし出し、極度の集中力のなかで丁寧に、毎日素振りをやり抜いたそうだ。

毎日500スイングを欠かすことはなかったそうだが、数だけで言えば他のプロ野球選手でもそれくらいやっているだろう。しかしながら掛布選手は、誰が投手で、どんな球種で、スピードはどれくらいかを1回1回意識していたからこそ誰よりも大成したのだ。

受験勉強や仕事やスポーツなどでパフォーマンスを上げようとする際、がむしゃらに勉強や練習をやるタイプの人間がいるが、半分正解で半分ハズレなのだろう。正解は、きちんと量をこなしながら、一つ一つ丁寧に意識と集中力を高めてやることが大事なのだと、この掛布理論から学べるのではないだろうか。

早すぎる引退の理由は「厳しい目から逃げた」

素晴らしい活躍をしながらも、33歳という若さで引退してしまった掛布選手。その理由は、「厳しい目から逃げた」ということだったのだ。

阪神タイガースというチームは、熱狂的なファンをたくさん抱える大人気球団である一方でファンの目は非常に厳しい。活躍すれば一躍スター選手となるが、不振に陥ると激しいバッシングが降りかかるため、選手の精神的なプレッシャーは他球団より強いだろう。

1985年、掛布選手は4番打者として阪神タイガースを優勝に導いた。順風満帆に見えた掛布選手だったが、1986年に手首を骨折してしまい戦線離脱した。連続出場試合も663試合でストップ、さらに不振からファンからのバッシングに合う。その後、1988年で引退することになったのだが、当時のことを掛布選手はこう話している。

良い時も悪い時も阪神の4番としてファンの前に立つのが、僕自身1つの目標だった。阪神ファンの方達は非常に厳しい目で我々の野球を見ますので、その厳しい目から背中を向けて逃げるということはゲームを休むこと。三振する姿もエラーする姿も、全てさらけ出すのが本当の4番。堂々とその義務から逃げられるケガなんですよ。あの厳しいバッターボックスに入らなくていいんだ。4番を務められるだけの強い精神力がなくなった時、7番は打てませんよね。4番としてユニホームを脱ぐべきだろうと思った。

つまり、ケガが理由ではなく、精神的な弱さから引退してしまったということだ。当時に戻れるなら現役を続けるとも語るとおり、当時の弱い自分に対する後悔を今も持ちながら、後輩に同じ思いをさせたくないと二軍監督として日々指導している。コアな阪神ファンですら知らなかった事実ではないだろうか。

アキレス腱を断裂した西岡選手に、ケガ当日に電話して引退するなと叱咤激励した話は有名だが、掛布選手は自分自身の過去の経験から愛のあるアドバイスをしている。選手・指導者・人間として尊敬に値する方が阪神タイガースに携わってくれたことは、阪神球団にとって素晴らしい財産となっている。

まとめ

ミスタータイガース掛布雅之さんについて特集してみた。紛れもなく誰もが認める虎のスラッガーであり、阪神タイガースの顔としてこれからも指導者として若手育成に頑張っていただきたい。原口・北條・中谷選手はまさに掛布チルドレンとして一軍で活躍しているが、今後も掛布チルドレンが一軍で活躍するのを楽しみに待っている。

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