Read Article

矢野燿大に見る女房役の極意。野村監督の影響で覚醒した遅咲きの名捕手。

阪神タイガースの全盛期を支えた捕手といえば、現在バッテリーコーチを務める矢野燿大。中日ドラゴンズ在籍中、中村武志選手という大きな壁に阻まれ、正捕手を掴めないまま20代が終わった。なかなか芽が出ないまま、30歳を迎えるタイミングで大豊選手とともに阪神タイガースへ交換トレードで移籍。これが矢野選手の運命を変えた。

生まれも育ちも大阪。慣れ親しんだ土地でのプレーに躍動感が生まれ、遅咲きの名捕手として阪神タイガースを代表する選手に成長。2003年・2005年のリーグ優勝では中心選手としてチームを牽引し、古田選手・城島選手・谷繁選手に並ぶ日本を代表するキャッチャーとなったわけだが、矢野選手の魅力はいったいなんだったのだろうか。

Sponsored Link

個性派集団を支えた女房役としての矢野燿大

ベストナイン3回、ゴールデングラブ賞2回。2003年・2005年のリーグ優勝時に獲得した賞だが、この当時の阪神タイガース投手陣は、黄金期を迎えていた。

2003年で言えば、20勝をあげた大黒柱の井川選手、2ケタ勝利の伊良部選手、下柳選手、ムーア選手、ベテランの藪選手、そして助っ人外国人のウィリアムス選手。生え抜き選手が少ないものの、実績充分の選手がずらりと並び、キャッチャー泣かせなほど個性的な投手ばかりが主戦を張っていたのだ。

キャッチャーはよく女房役と言われているが、投手というのはワガママでプライドが高く、寂しがりやという複雑な性格の持ち主であることが多いため、それをサポートするキャッチャーを「女房」と呼んでいるわけだ。それにしても、2003年の阪神投手陣をサポートするのは、なかなか困難だっただろう。

エースの井川選手は、プロ野球選手ながらゲーム・将棋が大好きな超インドアタイプ。また、月に1万円しか使わないケチと言われおり、非常にシャイで変わった性格であった。伊良部選手は一転、破天荒で荒くれ者。豪速球で腕を鳴らした元メジャーリーガーの名投手であり、私生活では暴力事件を起こすような血の気が盛んな選手だ。下柳選手は日本ハムから移籍してきた軟投派、頑固で職人気質の選手である。

個々の実力が高くても、結束しなければ強くならないし、チームは空中分解しかねない。それを上手くまとめたのが矢野選手なのだ。矢野選手の魅力の一つに「人たらし」の性格があるのだが、実力のある投手に対して、全く臆することなくコミュニケーションを取ることができる。弱気なときは夫役として投手陣を引っ張り、調子が良い時は女房役として相手の良い部分を引き出すことができる、非常に器用な性格を持っているのだ。

2005年は、井川選手と下柳選手を中心に、能見・桟原・杉山・安藤・福原など20代の選手が活躍したため、かつての個性は薄れた印象だ。矢野選手は、リーダーとして若手投手陣を引っ張る兄貴的な役割を担い、2003年とは違った立場でリーグ優勝に貢献したのだ。投手陣から絶対的な信頼を勝ち取り、今日の阪神投手王国を築く礎を作ったのが矢野選手、といっても過言ではないのではないだろうか。

Sponsored Link

野球人生に大きな影響を与えた野村監督の考え

キャッチャーとして唯一三冠王を獲り、往年は名監督としてプロ野球界に多大な影響を与えた野村克也さん。「ID野球」というフレーズの生みの親であり、頭を使って繰り広げる野球論でたくさんのキャッチャーを育ててきた。有名なのが、ヤクルトの監督時代に育てた古田選手であり、楽天の監督時代に育てた嶋選手であり、いずれも球界を代表するキャッチャーにまで成長した。

矢野選手から野村監督のイメージは思い浮かばないが、実は阪神に移籍した当時、監督を務めていたのが野村克也さんだったのだ。中日時代、星野監督から「大捕手は監督の隣に座るもの」とアドバイスをもらい、阪神移籍後も野村監督の隣にいつも座っていたそうだが、これが矢野選手の野球人生を大きく変えた。

とあるインタビューで、矢野選手自身はこう語っている。

めちゃめちゃでかいですね。バッティングでもそうでした。僕もいろんな勝負ができるバッターではなかったんですけど、わざとおっつけた後に、インコース思い切りひっぱたり…。そういう投げる前にどう勝負するかって言うのは、キャッチャーやっててももちろんそうですし、打席に入っても役に立ちました。あの頃からですね、西山(広島)さんやったら、阿部(巨人)君やったらって、考えて打席ではキャッチャーと勝負してました。このピッチャー大丈夫やなって思ったらそんなこと考えませんけど。3割だって、野村監督でないと打てなかったと思うし、監督との出会いは、僕の野球人生の中で大きいですね。

ぼやきと呼ばれる野村監督のベンチでの小言は、キャッチャーとして物凄く勉強になる内容だったそうだ。初めは理解できなかった指摘やアドバイスも、思考が深まるごとに身につく。星野監督就任以降、矢野選手が大きく飛躍したのは野村監督の影響が大きかったとは、阪神ファンでも知らない人も多いのではないだろうか。

野村監督といえば阪神タイガース暗黒期を支えた功労者であり、赤星選手に代表される「F1セブン」をドラフトで獲得するなど、黄金時代の礎を築いた方でもある。今でこそ、野球解説者としてぼやきの多い方という印象が強いものの、監督としてのチーム作りは素晴らしく、日本で「頭脳プレー」を浸透させた第一人者でもあるのだ。

2010年で引退するまで、矢野選手の脳ミソには野村監督からの学びがベースにあったのだ。正捕手を長年務めることができ、素晴らしい野球人生を送れたのも、野村監督との出会いのおかげだと矢野選手も話している。野球というスポーツに限らず、人との出会いによって、人生は一気に好転するんだということに気づかされるエピソードだと筆者は思う。

まとめ

矢野燿大という名捕手は、その素晴らしい人柄と野村監督から学んだ考え方をもって生まれたと言えるだろう。2016年からは、同級生の金本監督のもと、コーチとしてチームの優勝を目指しているが、ぜひ持ち前の魅力を存分に発揮して欲しい。金本監督と矢野コーチが胴上げされる姿を、もう一度見たいと思っている阪神ファンのためにも、2017年シーズン全力で戦ってもらいたい。

Sponsored Link
URL :
TRACKBACK URL :

Leave a comment

*
*
* (公開されません)

人気記事5選

Return Top